原子爆弾投下直後の巨大なキノコ雲
投下直後の惨状
1945年8月6日8時15分17秒、原子爆弾がB-29から投下されました。相生橋よりやや東南の島病院付近高度役600メートルの上空で核分裂爆発を起こしました。
1945年(昭和20年)の8月から12月の間の被爆で死亡した戦闘員と非戦闘員は、9万人ないし12万人と推定されています。たった一つの原子爆弾でたいへん多くの人が犠牲になりました。原子爆弾が使用されたのは日本だけです。日本は唯一の被爆国なのです。
遺言「ノー・モア・ヒロシマ」
-未来のために残したい記憶-より
あれから75年がたちました。私が学級担任の時、国語では学年ごとに必ず戦争をテーマにした物語がありました。今では6年生の「川とノリオ」だけになってしまいました。戦争が風化され、原子爆弾の恐ろしさが忘れ去られていくような気がしてなりません。
2度とこのような悲惨な核兵器が使われないためにも、私たちには語り継いでいく役割があるように思います。戦争や原子爆弾で亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈りしております。