前回は統合失調症のクスリの怖さについてお知らせしました。今回は統合失調症について考えてみたいと思います。
統合失調症の基本的な症状として、妄想、幻覚(幻聴)、思考の解体(支離滅裂)の三つが挙げられます。このような病気を想起させるような言葉を聞かされると、極度の緊張感や恐怖感を抱く状況になった時、誰だって、幻覚や幻聴を経験することはあるでしょう。そして、自分は病気になったしまったと思い込んでしまうのです。
草薙龍瞬氏(僧侶:興道の里代表)は「心が強い人は『不安は妄想』だと知っている」(2015.9.29)の中で、次のように述べています。目を閉じて見えるものが「妄想」。目を開いて見ているものが「現実」です。こう考えると当たり前なのですが、妄想と現実とは、はっきりと違います。「不安」は、妄想の典型です。だから「妄想しない」練習を積んでいけば、不安も徐々に湧かなくなっていきます。
スティーブン.C.ヘイズ
私が心理療法として用いているアクセプタンス&コミットメントセラピー(ACT)においても、人間は言語を獲得することにより、「自分にはできない」「自分はどうしようもないバカだ」「難しすぎる」等々、様々な言葉が浮かんでくるといっています。これをマインドと呼んでいます。そして、人間の基本的な感情-人生を通じて繰り返し抱くごく当たり前の感情-の多くはそもそも痛みを伴うものであると考えています。恐怖、悲しみ、罪悪感、怒り、ショック等々、挙げればきりがありません。
人間は進化の過程で身を守るために、ネガティブな考えや感情が必要であり、言語を獲得することにより更に多くの苦悩を表現する(できる)ようになりました。従がってACTでは、人間は苦悩を備えているのが普通(健康)であると考えているのです。
内海聡医師
「精神科は今日も、やりたい放題」の著者である内海聡医師は、その著書で、「統合失調症として判断されている多くの人は、過去の記憶を幻視するだけで統合失調症と診断されている。これが統合失調症の基準になりうるというなら、多くの人は、ある意味でその幻視とやらをよく見ているし、その人たちが精神科を受診しないのは、それが人間として当たり前だったり、了解可能であると分かっているからである」と述べています。
更に内海医師は、次のように述べています。「その意味では、現在、統合失調症として次々拡大診断されている患者さんたちは、適応力は低いのかもしれない。その幻覚が人間として普通にありうることを理解できていないからだ。だから何の疑いもなく精神科の診断を信じてしまうし、強力な薬を飲むことに抵抗がなくなる」
西洋医学は、どうも身体的にはどこも悪いところがなく痛みがないことが健康であると考えているようです。そして、精神面においても身体的な健康の概念を用い、気分の浮き沈みや不安、幻覚や幻聴のないことが健康であると考えているようです。精神症状が見られたら、根本的な解決を目指さず向精神薬で精神症状をなくす対症療法を行うからです。そのクスリには重大な副作用が隠されているにもかかわらず・・・。
私は薬を全部否定するものではありませんが、私たちは特に精神症状においては薬で治すといった考え方を見直す時期に来ているのではないかと思っています。