私の子どものころにはADHD(注意欠如・多動性障害)という言葉はありませんでした(6/29)

 幼年の坂本龍馬は寝小便癖が直らず、泣き虫で勉学もできず、いじめにあって塾を退学、姉の乙女に芸を教えてもらっています。ただ、剣術は得意で14歳より日根野弁治道場に入門し小栗流目録を得たのち、江戸の千葉定吉道場に入門し、北辰一刀流の目録も得ています。


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イラスト・所ゆきよし

 幕末に薩長同盟の基礎を築いた有名な坂本龍馬は、ADHDの可能性が高かったと言われています。しかし、その当時はADHDという言葉は全くありませんでした。私の子どものころにもありませんでした。実は、私は小学校の時の通知表には「早合点」といつも書かれていました。学校では落ち着きがなく先生の話も聞かず、いつも怒られてばかりいました。ですから、先生に対してはあまり良い思い出がありません。にもかかわらず、就いた職業が教師なのですから人生何が起きるか分かりません。 

 発達障害の用語は1963年にアメリカで法律用語が作られ、1970年代に日本に入ってきたとされています。そして今から20年ほど前、「軽度発達障害」という概念が、杉山登志郎によって提唱されました。これは高機能広汎性発達障害(高機能PDD、アスペルガー症候群や高機能自閉症などを指す)、LD、ADHD等、知的障害を伴わない疾患概念を指して使われるようになりました。「軽度」と呼称される根拠は、「知能が比較的高い」ためであるとされています。 原因は脳機能の障害と言われていますが、まだはっきりとしたことは分かっていません。


<じっとできずに騒いでしまう>


<お姉さんの気持ちを理解せずに怒らせてしまう>

 そして、2005年に「発達障害者支援法」が施行されました。この法律では「発達障害」とは、自閉症、アスペルガー症候群、その他の広汎性発達障害、学習障害、注意欠陥多動性障害その他これに類する脳機能の障害であってその症状が通常低年齢において発現するものとして政令で定めるものをいう、と定義されています。

 坂本龍馬の時代や私の子ども時代には、私のように落ち着きのない子どもはたくさんいました。ちょっと度が過ぎることをしてしまう子もいましたが、それが子どもらしさなのではないでしょうか。それでも、ほとんどの子どもは自分が発達障害であると知らずに、生きづらさを感じてはいたでしょうが、みんなの中で揉まれて成長していったのです。

参考資料:「いきいき健康・ゆとり生活・応援団!」、フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」

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