コロナ禍の現在ですが、人と会わないようにして茨城県の霞ケ浦周辺をドライブしていました。以前から興味を抱いていた陸平(おかだいら)貝塚公園の近くを通りました。もし、人が大勢いたらすぐに帰ってこようと思いながら寄ってみたら、公園を草刈りしている方々と2名の訪問者のほかには、人がいませんでした。
観光いばらきより
陸平貝塚は、約8000年前から3500年前(縄文時代早期から後期)までの長い期間にわたって形成されました。この場所は当時、霞ヶ浦に浮かぶ島だったと考えられています。南北150m、東西250m、標高20~30mの舌状台地の斜面に作られた8つの貝塚からなっています。中期から後期の土器及び土偶、耳飾り等の土製晶、石器、骨角器、貝製品が出土しています。
復元竪穴住居
左(スマホでは上)の竪穴住居は、実際に発掘された縄文時代中期(約5000年前)の住居跡をもとに、竪穴の大きさや形、方向、柱穴の位置はそのままにして、場所だけ変えて復元したものです。
AからG,Iまでの広い範囲にわたって貝を見ることができます。<美浦村HP>より
ハマグリ、シオフキ、サルボウ、ハイガイ、マガキ、アカニシなど、たくさんの種類の貝柄が見られます。
<国ができるまで>より
縄文時代、日本人の平均寿命は15歳程度といわれています。それは、乳幼児の死亡率が高かったためです。成人で40歳に達した人は少なかったようです。別の研究では、縄文人の約3割が65歳を超えるまで生きていたと報告されています。
縄文人が現代人(2019年女性…87.45歳、男性…81.41歳)よりはるかに短命であったということは明らかです。
過酷な環境の中においても、私たちの祖先は生き延びてきたのです。
私が陸平貝塚を散策して思ったことは、縄文人は8000年前から自然を上手に利用して生き続け、現代の私たちに引き継いできたということでした。考えてみると、それよりももっと前に人類(ホモ・サピエンス)が誕生したのは、20万年前といわれていますが、縄文人は縄文人の祖先からその「人類の命」を受け継いできたのです。
8000年後、私たち人類はどのような未来を築いているのでしょうか。イギリスで起こった産業革命からまだ200年ほどしか経っていません。この200年の間に、科学はみるみる発展してきました。
科学の発展とともに、私たちの生活は向上しました。平均寿命も延びました。しかし、戦争、核兵器の開発、地球温暖化、新種のウィルスの出現等は科学の発展とともに生まれた問題ではないでしょうか。科学の発展は私たち人間に恩恵をもたらしますが、私たち人間を危うくすることもできます。どう利用するかは、私たち人間にかかっているのです。私は、「人類の命」をこれからの未来を生きる人たちに引き継いでいくことこそが、今を生きる人たちの役割ではないかと考えています。
8000年後、人類が平和で平等に、笑顔で生活している世界であることを願ってやみません。