長崎市に投下された原爆のキノコ雲
荒野状態の浦上天主堂付近
1945年8月9日午前11時2分、市街中心部から北へ約3kmそれた松山町171番地の別荘のテニスコート上空503mで、原子爆弾が炸裂しました。
当時の長崎市の人口24万人(推定)のうち、たった1発の原子爆弾で約7万4千人が死亡し、建物は約36%が全焼または全半壊しました。この原子爆弾が人類史上において実戦で使用された最後の核兵器です。
サンスポ(2020.8.6 11:28配信)による報道が下記のようにありました。
米紙ロサンゼルス・タイムズは5日、広島、長崎への原爆投下を巡り「米国は核時代の幕を開ける必要はなかった」と題し、歴史家らが寄稿した記事を掲載した。トルーマン大統領(当時)が原爆を使わなくとも日本が近く降伏すると認識していたことは証明済みだとし、「日本への核兵器使用を巡る真摯な国民的対話」の必要性を訴えた。
歴史家のガー・アルペロビッツ氏と、ジョージ・メイソン大教授のマーティン・シャーウィン氏の共同寄稿。米国では原爆投下が戦争終結を早め、多くの米兵らの命を救ったとの主張が主流だが、日本との戦争を経験していない若者の増加などから変化の兆しもある。
核兵器は本当に悲惨な結果をもたらします。この悲惨な状況が二度と起きてはならないことを強く願い、できるところから行動していきたいと考えています。
平和の祈りの像(広島)
平和記念像(長崎)