「いずれ戦争を知らない世代が、政治の中枢を占める時代が来るのが怖い…」(第64代総理大臣 田中角栄)(4/18)

有事の危機を感じます
 戦後78年経った現在、政治の中枢を占めている政治家で戦争を経験している人がたいへん少なくなってきました。米中の対立、台湾情勢、ウクライナ情勢、軍事演習の活発化、北朝鮮の弾道ミサイル発射の増加、アメリカからの武器購入、防衛費の増額などが見られ、日本は、中国、ロシア、北朝鮮との対立を深めています。
「憲法9条」を盾にしてアメリカからの要請を断った田中角栄

第64代総理大臣 故田中角栄氏

 1955年から1975年までの20年間続いたベトナム戦争ですが、70年代に入り、アメリカから日本に対してベトナム戦争派兵への圧力が強まった時、総理だった角栄氏は「どんな要請があっても、日本は一兵卒たりとも戦場には派遣しない」と答えました。
 官僚からアメリカからの強い要請があると言われても、「そういう時には、『憲法9条』を使えばいい」と返したそうです。アメリカが日本に押し付けた憲法を逆手に取って、日本が派兵しない理由に使ったのです。
 そして、角栄氏は、自民党の二階俊博幹事長など、1980年代に初当選した議員たちに次のように話していました。「戦争を体験した世代が政治の中心にいる時代は、平和について議論する必要すらない。いずれ戦争を知らない世代が、政治の中枢を占める時代が来るのが怖い…。」
 

 また、私たち国民も戦争を知らない世代が増えてきています。先の大戦は多くの国民が戦争に賛成していました。ルームだより3/6の「お母さんの木」のように、お母さんは自分の子どもたちが戦死するまでは戦争に賛成の立場をとっていました。子どもの戦死によって戦争の悲惨さに気づき、戦争を止めた方がよいといった考えに至ったのです。
ベトナム戦争に巻き込まれた子どもたち 

ベトちゃんドクちゃん

 当時、日本でも話題になったベトちゃんドクちゃんです。2人は上半身2つが1つの下半身でY型に繋がった結合双生児として産まれてきました。ベトナム戦争で米軍による多量の枯葉剤が散布された地域で産まれました。
※写真はインターネットより引用

左からドクさん、ベトさん、ティエンさん

 その後二人は分離手術を受けました。17時間に及ぶ手術は成功しました。分離後ドクさんはティエンさんと結婚しました。お兄さんのベトさんは、重い脳障害を抱え寝たきりの状態が続き、26歳の時、腎不全と肺炎の併発により死去しました。
※写真はインターネットより引用

辛そうな母子

 大人の利害関係で戦争が起こり、何の罪もない女性や子どもも不幸になります。私は小学校の教員でした。現在も子どもたちと関わる機会があります。子どもは無限の可能性を秘めている、とひしひしと感じています。無限の可能性を秘めた子どもの命を戦争で奪う権利は誰にもありません。
※写真はインターネットより引用

 まさに角栄氏の心配が現実のものになろうとしているような気がしてなりません。日本が武器を増強すればするほど、中国、ロシア、北朝鮮は日本を敵国と見なして攻撃してくる可能性が高くなってきます。


9条:戦争の放棄

 仮に台湾有事が勃発した時、アメリカが日本も派兵してほしいと要請してきたら、現在の首相は角栄氏のようにきっぱりと「日本は『憲法9条』があるから、日本は一兵卒たりとも戦場には派遣しない」と、答えることができるのでしょうか。

田中角栄が「憲法9条」を盾にベトナム戦争への派兵要請を断っていた(全文) | デイリー新潮
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