科学者の罪と罰〔原子爆弾製造を通して〕(前編)(8/6)

リトル・ボーイ<Wikipedia>より

 今日は広島に原子爆弾が投下されて、76年目の8月6日です。たった一つの原子爆弾で瞬時に何万人もの人たちが犠牲になりました。戦争や原子爆弾で亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈りしております。

 この恐ろしい兵器はどのようにして生み出されたのでしょうか。生み出したのは紛れもなく人間であり、科学者なのです。 今後への教訓となればと、原子爆弾が生み出された経緯を知り、考えてみたいと思います。

アルベルト・アインシュタイン
<Wikipedia>より

 ヒトラーが政権をとった当時のドイツは、戦争に向かって突き進んでいました。ドイツに住んでいた科学者たちは、危険を察知してアメリカに移住を始めました。ナチスから亡命したユダヤ人のアルベルト・アインシュタインもその一人でした。アメリカに渡ったアインシュタインは、アメリカ大統領のルーズベルトに、核分裂連鎖反応により大変な破壊力を生み出す新型爆弾の情報を話しました。アインシュタインは、ドイツより早くアメリカに製造してほしいと思っていたのです。

ロバート・オッペンハイマー
<Wikipedia>より

 ルーズベルトは、原子爆弾の製造を決意し、1942年に原子爆弾開発を目指すマンハッタン計画が開始したのです。物理学者のオッペンハイマーはロスアラモス国立研究所の初代所長に任命され、原爆製造研究チームを主導しました。オッペンハイマーは、物理学者のエンリコ・フェルミ、同じくハンス・ベーテ、数学者のフォン・ノイマンと一流の科学者に声かけをし、研究への参加承諾を取り付けました。名声を聞いて若い科学者が、大勢集まり、自由に意見を述べ合う研究チームができ上りました。

 ジョセフ・ロートブラット
<
Wikipedia>より

 1944年6月6日、連合軍がノルマンディ上陸作戦を行い、パリを奪還しました。その時、ドイツは原子爆弾を製造していなかったという情報が入りました。これを聞いて、原爆製造研究チームは、原子爆弾製造の大義を失ってしまいました。
 1944年冬、妻をナチスに殺された物理学者のジョセフ・ロートブラットは、ロスアラモスを去っていきました。同じく物理学者のロバート・ウィルソンは悩み、原爆を製造すべきか否か、集会を決行したのです。

集会で話すオッペンハイマー
<原爆誕生 科学者たちの罪と罰>より

 参加者の中にオッペンハイマーがいて、彼は発言を求め、次にように話しました。
「このままドイツとの戦争が終われば、原爆はアメリカの軍事機密となり、いつ新たな戦争で使われるか分からない。むしろ、原爆を完成させて実験を行い、世界の人々に原爆の恐ろしさを知ってもらえば、国際平和を話し合う良い機会になる。原爆が世界平和に貢献する。」

 オッペンハイマーは、参加者全員を納得させました。この話を聞いて、科学者たちは原爆開発に向けて、一致団結していってしまったのです。

 原爆の開発を中断すれば軍事機密となることにより、また使われる可能性があることは理解できますが、原爆を完成させその恐ろしさを知ることが、世界平和に貢献するといった考え方も危険であると思います。それは、相手に負けじと更に恐ろしい原爆を製造していこうとする人間が現れる可能性があるからです。オッペンハイマーの話を聞いて、科学者たちが納得したのは、潜在的に科学者として誰もが成し遂げなかったことを実現させたいといった、科学者としての自己実現欲求が働いたのではないでしょうか。

NHK フランケンシュタインの誘惑「原爆誕生 科学者たちの罪と罰」より

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