私は今日、埼玉県熊谷市立熊谷図書館内にある森村誠一文芸の館に行ってきました。
森村誠一は作家になった原点が12歳の頃に体験した熊谷空襲だったそうです。 熊谷空襲はなんと、終戦の前夜だったのです。 終戦が1日早かったら熊谷空襲はなかったのです。
晩年は、平和の尊さ、戦争の悲惨さを訴え、戦争に対する警鐘を鳴らし続けた方でもありました。それは、ご自分が戦争の悲惨さを体験されたからこそ、どんな理由があっても戦争をしてはならないとの強い信念を抱くようになったのでしょう。
晩年は、平和の尊さ、戦争の悲惨さを訴え、戦争に対する警鐘を鳴らし続けた方でもありました。それは、ご自分が戦争の悲惨さを体験されたからこそ、どんな理由があっても戦争をしてはならないとの強い信念を抱くようになったのでしょう。
熊谷市立熊谷図書館の3階にあります。
森村誠一が愛用していた椅子です。
森村誠一のことが書かれています。
森村誠一が12歳の時に経験した熊谷空襲のコーナーです。終戦の前夜でした。
私たちを取り巻く最近の世界情勢を見ても、私は「平和は守るもの」と強く思うようになりました。
文学作品の「おかあさんの木」で息子たちが戦死した時、
「なにもおまえたちのせいではないぞえ。 日本じゅうの、とうさんやかあさんがよわかったんじゃ。 みんなして、むすこをへいたいにはやられん。 せんそうはいやだと、いっしょうけんめいいうておったら、こうはならんかったでなあ。」
と言ったおかあさんの言葉が、私には思い出されます。