米国の国益優先が軽率にも修正主義を生み出した可能性
不破氏に続いての動画では以下のように述べらていました。〔動画は最下部に添付してあります。不破氏の発表の後で述べられています。〕

歴史をみると 米国の国益優先が軽率にも修正主義を生み出した可能性がある。米国は日本の現行憲法案を起草、平和主義の第九条は完全な戦力放棄を掲げている。皮肉にも数年後、共産主義に対抗するため、米国は日本に再軍備を求めることになる。しかし、当時の日本(吉田茂)はこれを拒否-
日本の再軍備を拒否した吉田茂
吉田茂は、アメリカからの再軍備要請に対し、慎重な態度を貫きました。
以下の4点がその主な理由です。
吉田茂氏

1. 経済的制約
戦後の日本経済は依然として復興途上にあり、大規模な軍備を行う余裕はありませんでした。吉田は「経済再建こそが最優先課題」との立場を取り、大規模な軍備による財政圧迫を避けるべきと判断しました。再軍備による負担が、戦後の社会福祉や産業復興に悪影響を及ぼす懸念があったのです。
2. 国際的懸念
再軍備が進むことで、近隣諸国、特にアジア諸国に対して日本の再侵略への不安を抱かせるリスクがありました。日本が戦前の軍国主義の象徴と見られていたことから、再軍備は周辺諸国との信頼関係を損なう可能性がありました。
3. 憲法第9条の遵守
日本国憲法第9条では「戦争の放棄」と「戦力の不保持」が明記されています。この平和主義の理念に基づき、吉田は再軍備を避けるべきだと考えました。憲法違反となる可能性がある政策を進めることは、国内外での批判を招く恐れがありました。
4. 安全保障の代替策
吉田は、独自の再軍備ではなく、アメリカ軍の駐留を通じた日本の防衛を優先しました。1951年に締結された日米安保条約により、アメリカは日本の防衛を担う責務を負うことになり、吉田にとってはこれが最も現実的な選択肢と考えられました。

米国は親米で再軍備推進派の新リーダーを探す
更に動画では以下のように述べています。
岸信介氏
よって、親米で再軍備推進派の新リーダーを探した。巣鴨プリズンにその男はいた。岸信介だ。当時岸は、中国・朝鮮人の強制労働を監督したとしてA級戦犯被疑者だった。真珠湾攻撃時、東条内閣の閣僚で、人種差別主義的な考えを持っており、彼曰く-中国人は法に従うには野蛮すぎるが、犬と同様に暴力ぐらいは理解できるだろう、と。
米国は、そんな岸を出所させ、首相へ登りつめる手助けをした。日本の政治に影響力を持つため-年間1億ドルをつぎ込み、自民党支配を支えた。(動画より)
米国CIA(中央情報局)の協力者として活動
Wikipediaは、岸信介について次のように書いています。
CIA Logo
A級戦犯被疑者として収監されるが、不起訴となったのち米国CIA(中央情報局)の協力者として活動し、戦後にも権力を得た。1964年から1972年まで内閣総理大臣を務めた佐藤栄作の兄である。
東条英機内閣の太平洋戦争開戦時の商工大臣であったことから、極東国際軍事裁判ではA級戦犯被疑者として3年半拘留されたが、不起訴により釈放された。他の戦争指導者同様、公職追放は免れなかったが、それも東西冷戦の影響による米国の方針変更によりサンフランシスコ講和条約発効とともに解除される。

東 京 裁 判 の 矛 盾
東京裁判
<インターネットより引用>
東京裁判は、日本の戦争責任を追及するという歴史的意義を持つ一方で、多くの矛盾を抱えていました。一部の戦犯が厳しく裁かれる一方で、戦争遂行に深く関与していた人物が免責されるという選別が行われました。これには、アメリカを中心とする連合国の冷戦戦略が大きく影響しています。
例えば、東條英機らは絞首刑に処された一方で、岸信介のように釈放され政治的復権を果たした人物もいます。この矛盾は、戦争責任が一律に裁かれたわけではないことを示しており、戦後日本における歴史認識の議論を複雑化させる要因となっています。

平和を謳った9条削除の企ては敗れた
1960年 岸は日米安保条約に署名-米軍駐留の継続に同意した。さらに 拷問・強姦・殺人罪で服役していたB・C級戦犯の開放を米国政府に掛け合った。この恩赦が日本の戦争犯罪を忘れさせ、米国へ近づくだろうと説得し-
完全な再軍備を匂わせた。
安保反対闘争
日本会議 人々は戦争の記憶を忘れてなかった。安保反対の大規模な抗議活動により-結果 岸内閣は退陣、平和を謳った九条削除の企ては敗れた。しかし、この夢は失せることなく孫の安倍晋三に受け継がれたようだ。「日本会議」の協力を得て一歩先へと進む可能性も否定できない。(動画より)
米国は国益のために日本を利用している!?

米国は、吉田茂が日本の再軍備を拒否したために、巣鴨プリズンにA級戦犯被疑者として収監されていた岸信介を出所させ、首相にまで上り詰める手助けをしたのですから、国益のためには、何でもする国だと思わざるを得ませんでした。吉田茂は憲法九条を遵守しようとしましたが、岸信介は1960年には再軍備のための改憲を進めていこうとしていたのです。65年以上経った現在、正に改憲が行われようとしているのです。その目的は、日本を戦争ができる国にするために、ではないでしょうか。
