ADHD治療剤のことを知れば知るほど、募る私の反省(7/11)

 私は小学校の教員でしたが、ADHDを含む発達障害のことを知ったのは今から約20年前のことでした。学校現場でも発達障害の研修が行われました。ほどなくして発達障害者支援法が2005年に施行されました。私は発達障害について勉強しました。クラスでも2~3%の子どもが発達障害の可能性があるといわれるようになりました。授業中に立ち歩く子、暴力的な子、学級崩壊を引き起こす子などがいました。急速に発達障害の課題が高まっていきました。

 私は何の疑問も抱かず、発達障害と思われる子どもの性格や行動の特徴を研修や本で勉強しました。しかし、今思えば子どもの心配な性格や行動が見られたとすれば、保護者から聞くことができたのです。更に反省しなければならないのは、心配な子の精神科や心療内科での受診は「これで症状が改善される」と思い、子どもを受診させる保護者に対して学校に協力してくるのでありがたいと思っていたことです。実際には薬を服用しておとなしくなっていた(させられていた)だけだったのです。よく考えてみれば、私の子どもの頃にはADHDや発達障害という言葉はなかったのです。反省しきりです。


<夢多き子どもたち>

 アメリカのある良識的精神科医は、ADHDについて次のように嘆いたといわれます。「昔はADHDなんて言葉は使わなかった。子どもって言ったんだよ」子どものいったい何割が不注意でないというのか?片付けが上手か下手かはしつけによってまずは規定されるもので、十分なしつけによっても片付けられない子どもはごく少数であろう。思いつきで行動するなど、夢多き子どもの最たるものであろう。もっといえば、子どもも片付けができないといけないとする発想そのものが、すでに固定観念の極みであると、著書「精神科は今日も、やりたい放題」の中で、内海医師は言っています。

 私はADHDという言葉(診断名)は必要ないと考えていますが、ADHDを使っている日本でのADHDの治療ガイドライン4版においても次のようにいっています。「薬物療法が中心となっていた以前の2008年3版と比較して、心理社会的治療が大幅に充足された。子どもへのソーシャルスキルトレーニング(SST)、親へのペアレント・トレーニングなどは心理的社会的治療や、学校との連携など環境調整が優先され、薬物療法ありきの姿勢は推奨されない」 

 フランスでは、心理療法や家族カウンセリングを実施し、実際に問題を解決すると真にADHDに診断される児童は少ない(0.5%)ということです。フランスでの心理社会的な手法は包括的に取り組まれ、食事では合成着色料、保存料、食物アレルギーが症状を悪化させていないかといったことにも着目し、子育ての方針においても子どもを管理するために薬を使うのではなく、はっきりとしたルールの中で耐えることを学ばせることが定着しているようです。

              参考文献:「精神科は今日も、やりたい放題」内海聡著 PHP文庫
参考資料:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」

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