薬物依存というドロ沼からの生還(その1)(7/20)

 精神薬を断薬した山口岩男氏の著書、「『うつ病』が僕のアイデンティティだった」(ユサブル)の序章を原文のまま紹介します。

「『うつ病』が僕のアイデンティティだった」表紙カバーより

 僕は2001年から2013年までの12年間、精神安定剤、睡眠剤、抗うつ剤などの精神薬を服用していた。ただの1日も休まず、12年間である。
 2001年、弟が突然死したことがきっかけとなり心身に変調をきたし、受診した心療内科で「うつ病」「パニック障害」と診断され、精神薬を服用するようになって以来12年間で受診した医療機関は合計9軒。

 服用した精神薬は、実に35種類を数えた。その中には現在、危険だとされてほとんど処方されなくなったブロバリン、イソミタールといった古い睡眠剤や覚せい剤に似た効能から乱用者が増えて問題になり、2007年10月にうつ病への使用が禁止されたリタリンなどの薬もある。ありとあらゆる精神薬を体験した僕は、その「効能と副作用」を体全部で覚えている。そして語れる自信がある。

 2001年から2013年までの12年間、プロミュージシャンである僕は、緊張を紛らわすために常に精神安定剤を口に放り込みながらステージに立っていた。夜中に目を覚ました時に襲ってくる「将来に対する漠然とした不安」を過度に怖れ、自分の意識を失わせるように、毎晩睡眠剤とアルコールを併用してヘロヘロになって眠った。

 有名アーティストのサポートギタリストとしてステージに立っていた時も、NHK教育テレビにレギュラー出演していた時も、僕は常に、時には規定量を超える精神薬を飲み、虚ろな目でふらつきながら仕事をしていた。医師が言うとおり、

「薬を飲み続ければ、きっとよくなる」

と信じて多量の精神薬を飲み続けた。一向によくならないうつ状態のなか、テンションを上げるために、ひたすら抗うつ剤を飲み続けたのだ。

 薬物依存、というと、誰もが大麻や覚せい剤などのいわゆる「危ないドラッグ」をイメージするだろう。ここ数年、芸能界やスポーツ界の大物の逮捕が相次ぎ、薬物依存の恐ろしさについては、周知のとおりである。薬物依存に陥る可能性のある薬物には、これらの「違法な薬物」と、法の目を掻い潜って取引される「合法ドラッグ」があることはみなさんもご存じだろう。しかし実際にはこの2つの他に「第3のドラッグ」とも言える薬物が存在する。それは製薬会社によって作られ、国が認めた医師によって処方される「精神薬」だ。


 僕は、「治療のため」と信じてこれらの薬を飲み続け、量もどんどん増えて、翌日まで残った睡眠剤の作用で、何度も運転中に接触事故を起こした。最後には、ステージで手の指が震え、下を向くとよだれが垂れるまでになった。それに気づいた周囲の人の間で、「あいつ、ヤバイぞ」と噂が広がり、仕事に影響も出てきた。NHK教育テレビ「趣味悠々」にウクレレ講師として出演していた時も、僕はいつも精神安定剤を飲んで、時々フラついていたのだ。(つづく)

「『うつ病』が僕のアイデンティティだった」山口岩男著 ユサブル より

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