日本じゅうの、とうさんやかあさんがよわかったんじゃ(おかあさんの木)(3/6)

 「おかあさんの木」は、児童文学作家の大川悦生が1969年に発表した戦争を題材にした文学作品です。1977年から2000年まで小学校の国語の教科書にも収録されていました。私も5年生を担任していた時、授業を行いました。とても思い出深い作品でした。我が子を心から大切に思うお母さんの様子が感じ取れる部分を紹介します。
 

出典:「おかあさんの木」(ポプラ社)

 おかあさんは7人の子どもたちが兵隊として出生する時、「ひきょうなまねをせんとお国のためにてがらをたてておくれや」と言って送り出しました。ところがいちばん上の一郎が戦死してしまったのです。それからというもの、おかあさんは、
「二郎も三郎も四郎も、一郎兄さんみたいに死んだらいけん。 てがらなんてたてんでもいい。隊長さんにほめられんでもいい。きっと生きて帰っておくれや。」
と、いいなさるようになった。
 すると、だれぞ、どこでききつけてきたのだろう。おかあさんのところへきて、なじるように耳うちして、
「そんなこといのれば、せんそうにきょうりょくしない非国民といわれます。世間の口はうるさいできいつけなされ。」
というたり、へんにえんぎをかついで、
「キリの木は、冬、葉がおちるからいけん。みな、おはかの木になるに、ぬいてしまいなさるがいい。」
と、いうたりしたのだそうな。
  
 子どもたちの戦死の知らせが入るたびに、おかあさんは毎日、「ひとりでいいに。どうぞひとりでいいに。」と言って帰りを待っていたのです。
やがて秋がきてうらのあきちのキリの葉がハタリホタリとちりはじめた。
 

インターネットより引用

 するとおかあさんはちりおちた葉をいちまいいちまい、
「この大きいのは、二郎の葉…
このあつぼったいのは、三郎の葉…
さきがとがってほそながいのが、四郎の葉… これは五郎、すばしこくて、まけんきで、たまになどあたる子でなかったに… これは六郎、きょうだいのなかで、いちばんやさしい子じゃったが… そして、この小さいのが七郎の葉。」
と、つぶやきつぶやき、ひろいなさった。それからふかいいきをして、こずえのほうをみあげながら、
「なにも、おまえたちのせいではないぞえ。日本じゅうの、とうさんやかあさんがよわかったんじゃ。みんなして、むすこをへいたいにはやられん。せんそうはいやだと、いっしょうけんめいいうておったら、こうはならんかったでなあ。」
と、いいなさったそうな。
 
<授業で思い出に残っているキーワード『ハタリホタリ』>
◎やがて秋がきてうらのあきちのキリの葉がハタリホタリとちりはじめた。
私は子どもたちにハタリホタリがカタカナで表記されていることに気づいてほしかったので、「キリの葉がハタリホタリとちりはじめた」からどんなことが想像できるか、考えていくことにしました。音や声はカタカナで表記することを2年生で学習します。 
 
 ハタリホタリは大きなキリの葉が地面にあたる音で、おかあさんの耳にも聞こえてきたのではないか、だからお母さんは子どもたちが帰ってきたと気づき、すぐに外に出たんだ。ところがそれは子どもではなくキリの葉だった…。そして、お母さんはちりおちた葉を子どもと思って、「この大きいのは、二郎の葉…」と、我が子を心から大切に思うおかあさんの姿を思い浮かべていったことを今でも覚えています。
 
 私が担任だったころ、小学校の戦争教材は、「かわいそうなぞう(2年生)」「お母さんの紙びな(3年生)」「ひとつの花(4年生)」「おかあさんの木(5年生)」「川とノリオ(6年生)」が教科書に収録されていたのを記憶しています。現在は少なくなっていると思います。子どもたちが戦争の悲惨さを感じ取る機会が少なくなってきていることに憂慮しています。
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