私も発達障害(ADHD)?(4/1)


男子の集合写真


女子の集合写真(よく見ると…)

 上の写真は、私の小学校2年生の時のクラス写真です。今から60年前です。当時は、男子と女子に分かれて写真を撮っていました。女子の集合写真で、私がシャッターを押す瞬間に後ろから飛び出しています。先生に叱られたのかどうかは記憶にありませんが、女子の写真だけ撮りなおしたと思います。私が写ったまま女子の記念写真にするわけがありません。私は先生やみんなに迷惑をかけたことになります。でも、先生は記念に?上の写真をくれました。

七輪

 私は子どもの頃、たいへん落ち着きがありませんでした。2歳の時には七輪の近くでつまずいて、左手が真っ赤に燃えた炭火の入った七輪の上にかぶさってしまい、大やけどを負いました。今でもやけどの跡があります。

 幼稚園の時、不注意にもつまずいて、側溝に頭を嫌というほど打ち付け、三日月形のキズを作ってしまいました。小学校3年生の時には、自分の背よりはるかに深いプール(水深2mぐらい)で、泳げないのに無謀にも飛び込み溺れてしまいました。友達が手を差し出してくれて助かりました。

 勉強中は、先生の話を聞かずにおしゃべりをよくしていました。私は先生の話を聞いて理解することが苦手でした。自分で教科書を読んだりノートに何回も書いたりして理解するタイプでした。

 ですから、授業中は落ち着きがなく廊下もよく走り、先生によく叱られていました。小学校2年生の時の通知表には早合点が惜しいという記述があります。

 現在、私が子どもだったとします。心配した親が私を精神科または心療内科に受診させたら、私は注意欠如多動性障害(ADHD)と診断されたかもしれません。診断されると、心に深く刻み込まれます。

 みなさんに迷惑をかけてしまった私の行動に対して、母はよく謝りに行っていました。「お母さんごめんなさい」と母に言うと、「子どもは親に迷惑をかけてあたりまえ」と言ってくれました。その時、「もう今度からはしないようにしよう」と誓いましたが、また迷惑行為をしてしまうことが多かったです。そんな母は、7年前に他界しました。しかし、優しかった母の思い出は、いつまでも私の心に残っています。

 落ち着きのない私ですが、どういう訳か、運転免許はゴールド免許です。

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子どもの心配な行動